DVD ソニー・ピクチャーズエンタテインメント 2005/12/16 ¥1,980
1976年のサウスカロライナ州アンダーソンのハナ高校でアメフトのコーチを務めるハロルド(エド・ハリス)は、いつも練習場をうろつく知的障害者の黒人青年(キューバ・グッティング・Jr)に“ラジオ”というニックネームをつけ、チームの応援や世話をさせる。やがてラジオは授業に参加するようにもなるが、彼に偏見を抱く者も多く…。

人種差別や偏見の強い白人社会ではきっと奇跡的な出来事だったからこそ美談になったのであって、実はこれが日常になることが理想なんじゃないか?と思った。
この話を感動だ!素敵な話だ!自分もこうあるべきだ!と思うことは簡単である。
ラジオを学校から追い出そうとした親たちを簡単に「悪者」と称してレビューしている方のブログをたくさんみた。

私たちはこの映画を美談だと知っているし、ラジオが酷いことを起こす人物でないことを知っている。
自分がその立場だったら本当に「コーチかっこいい」とか、彼を高校に導きいれることを反対した保守的な両親たちを責めることが出来るだろうか?
自分の大切な子供を預けている学校に知的障害者を入れることをバンバンザイで迎え入れますか?
その人物が男性で自分の子供が年頃の女性でも?

私が中学のとき、親御さんの強い希望により本来ならば養護学校に通う女の子が生徒が普通クラスに一人いた。
しかしある時から、その子は休み時間の度に女子トイレに篭城し、トイレに入ってきた子に暴力を振るうようになった。
最初は手首を捕まえて渾身の力で締め上げていた。これが力の加減をしないし、体も大きい子だったので非常に痛かったらしい。その後は二の腕をするようになった。そして最後は首だった。
大きな事件にはいたらなかったけれど、やはり父兄が集まって大きな会議を開いた。

私は知的障害者を世の中から排除していこうとか差別をしているわけでは決してない。
むしろこれからの世の中、積極的に関わりあって新しい社会を形成しなければいけないと思っている。
ただ、この話をみて中学の頃を思い出し、簡単に彼を招きいれたコーチを絶賛して、反対した人を悪と決め付けることは安易すぎやしないか?と思っただけである。

正直今日の発言はセンシティブで少し勇気がいった・・・
わかってもらえないならば、それでもいいかな?と思う。

コメント

kaj
kaj
2006年5月17日5:23

それは、多分、「平等」という一般的な概念の捉え方によるじる違和感だと思います。私も、同じですから、何時からかは忘れましたけども、何時でも...
皆に、同じサイズのベッドを配るのが正しいのか、背の高い人間には、大きなサイズのものを背の低い人間には小さいベッドを配るのが正しいのか?
そして、
そのどちらを選択することが、社会の仕組みとしてコストパフォーマンスが高いのか(短期的に・もしくは長期的に)さらには、影響を与える者・影響を受ける者の双方に自覚的な「悪意」が存在しないが故に、どんな方法を選んだとしても、何かは必ず切り捨て・置き去りにせざるを得ない...そんな「人間らしい」お話だと私は、考えます。

で、そういった場面に直面したら...私は、私自身が気持ちの良い方法を選択するでしょうね♪
選ぶことによって、私の「お気に入り」の方が、一瞬でも嬉しいという表情を見せてくれるならば、それ以外は切り捨てます、何の躊躇もなくね♪
とは言え、ヘタレな「おやぢ」のできる事...対象範囲は、リアルに私の目の届く所だけで、一杯一杯なんですけどもね(^_^;)

キリカ
キリカ
2006年5月17日22:23

うーん。自分でもなんか居心地悪いんですよね。
結局自分は偽善者なんだなぁと思いますが・・・。

ベッドのお話すごくわかります。
自分の周囲を守りたい気持ちが強いくせに、他人からの目も異常に気にしてしまうタイプなのかもしれません。

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